処女好きの妄想

競走馬カームと種付けと処女喪失

競走馬のカームは、2000年4月9日生まれ、サラブレッドの牡馬、毛色は、青鹿毛である。走るために生まれた馬である。父は、種馬として有名なサンデーサイレンス。母は、フランス、アメリカ等で活躍したフランクアーギュメント。もちろんともにサラブレッド。サラブレッド同士の子供でない限り、サラブレッドとは認められない。当然、近親交配も激しい。元をたどれば、サラブレッドの祖先は、たった3頭の馬に行き着く。

カームは、北海道勇払郡安平町のノーザンファームで生まれた。競走馬専門の牧場である。競走馬の父親(種馬)は、種付け(交尾)のためだけにある。子育てはしない。従って、カームは父親を知らない。父親も、カームを見たこともないであろう。

出生の歳にせりにかけられ、3億2000万円で落札された。この金額は市場まれに見るものであり、一躍有名となった。サンデーサイレンス産駒のなかで3番目の高額馬である。また2007年現在、セレクトセール史上5位の高額馬にあたる。生まれて2ヶ月で、せりにかけられ、売られたのである。このとき、カームは、母親とも引き離された。以後は、全て自分一頭である。何事も初体験である。

落札者は、岡田繁幸。岡田は、骨格が優れていて、骨折等の事故が少ないこと、父に似て筋肉の状態が良いことなどから、レース初体験前のカームを絶賛し、たとえレースに出走できなくても種馬として有望であると公言している。しかしながら、岡田の予想に反して、2歳のとき骨折し、もう走れないのではと思われたが、奇跡的に回復、中央競馬でデビュー。でも、全くうだつがあがらず、前言を翻し、バージンのまま売却されてしまった。結局地方競馬でそこそこの成績を上げたが、3億円とは程遠いものであった。芝コースが得意で、ダートは苦手だった。お上品なのか?

岡田は「筋肉の質が父に似ている」点や、「骨格が良く故障が考え難い」点をあげ、当時から「こんな馬には二度と会えないと思った」[2]と絶賛し、ヨーロッパ遠征のプランもさることながら、たとえ走らなくとも将来の種牡馬候補として購入したことを公言していた。

岡田の購入後、ビッグレッドファーム(岡田の牧場)で、カームは順調に育ち、思春期を迎え(ただ、競走馬には自由恋愛はないが)、調教も順調であった。「サイレンススズカの再来」「カームに乗って以来、他の馬を誉めることができなくなった」などと絶賛されていた。しかし2歳(数え年)の春、蹄骨骨折という重症を負った。通常で張れば、出走は不可能で、処分される運命にある。でも、カームは立ち直った。どのような努力がなされたのか具体的にはわからないが、不可能を可能にするという熱意がなければできないことである。この熱意があれば、どんなに難しても処女喪失はできるると思う。

そして、3歳、カームは本番のレースを初めて体験する。関係者の熱意の結果、中央デビューはできたものの、3戦して未勝利。そして中央登録抹消、岩手競馬へと移籍した。

引退後、2006年から種馬に転進。競走馬の交尾は管理されているため、これが初体験のはずである。中央競馬出走の子供は、カシノカーム、カシノリクノオウの2頭。地方競馬では、知られているものだけで水沢所属のエイトドアキング、ショウブテスコ、船橋所属のキョウエイトリック、ジャノサワホマレ、チャビッツ、園田所属のイチヤマロッキー、佐賀所属のスパークルエンゼル、浦和所属のタンジョンビーチ、西脇所属のブランドアオモリ、高知所属のミニヨンピョーン、小林所属のヤマジュンカームがいる。血統を明確にするため、競走馬の交尾は厳密に管理されている。また、馬は1年に1回しか出産できない。従って、カームが処女喪失させた馬は結構な数になると予想される。

実は、カームは、競り落とされるまでは、フランクアーギュメントの2000とう名前だった。単に母親の名前と生年を取っただけの機械的な命名方法である。察するに、これは、その馬に機械的ではない名前を付けてしまうと、手垢がついて、将来の馬主に対して処女性を主張しにくくなるためかと思われる。まあ、病院でも、名前が付く前の赤ちゃんは「○○○○の子」と呼ばれているので、似たようなものだが。それを岡田繁幸が落札して、カームとと名づけられた。岡田の熱の入れようは異常で、なんと、ヨーロッパ遠征までするという構想もあったようだ。まあ、私の処女への熱の入れ方と比べても、すごいと思う。なお、実質的な所有者は繁幸であるが、形式的な馬主は、税金対策のため、妻の美佐子である。私としては、夫婦仲やその間のセックスについても興味があるが、情報はない。