処女好きの妄想

処女受胎

処女受胎とは、処女のまま妊娠することである。もちろん、処女のまま結婚もしていない。処女のままなのだから、セックスはしていない。今日の技術を持ってすれば、人工授精とか、そこまでいかなくても、破瓜することなく処女の膣内に精子を注入することは容易である。スポイトを膣に挿入し、子宮頸部の近くに精液をたらせば、処女のまま妊娠することは可能だろう。処女膜があっても、ちょっと痛みはあるかもしれないが、スポイトを通すことは容易だ。でも、通常でいう処女受胎は、そんな意味ではない。

精子や卵子が知られていない時代なら、「けがれのないマリア様が、処女のままセックスせずにイエスを受胎して出産した」で済むかもしれないが、現在ではそんなわけにはいかない。イエスは、マリアの卵子と、どこかに漂っていた精子が受精して発生したのか? それとも、卵子だけから発生したのか。前者ならば、精子を提供したのはだれか、「父なる神」の精子なのか。後者ならば、うまいこと倍数体ができたとしても、卵子にはY染色体がないので、女性しかできないはずなのだが。そんな固いは抜きにして、多くのキリスト教徒は、神の助けを求めてか処女受胎を信じているのだからしょうがない。

まあ、マリアの場合、イエスが産道を通過したと言うことは、イエスのペニスがマリアの膣に挿入されたことになり、この時点でロストバージンしたことになると言う解釈もある。ただ、この解釈を採用しても、出産は、受胎より後なので、処女受胎の有無には関係ない。

マリアは処女だ。でも、イエスを生んでいるので、処女膜は原型をとどめていないはずである。を触ったら、当然既婚者と変わりないであろう。処女性とは何か、なぜ処女がいいと考えるのか、難しい問題である。まあ、処女厨だったら、どんな処女でも、処女であればかまわないだろうが。

処女受胎-2に続く。